じぶんで言うのもなんですが、
外面はとっても温厚なわたくし。
というか実際のところ
ひとよりもたぶん怒らないし、
他人にあまく、じぶんにはもっとあまい、
どぅるどぅる人間なだけですが。
むかむかはするけどかりかりはあんまりしないかな。
何年かに一度毛穴開くくらいかっと怒りが沸いてしまったとき
自分で自分に動揺してしばらくそわそわなるくらいです。
やーつもおなじようなタイプで、
いつもおおざっぱにのほほんと過ごしているのですが。
気になるような、気にならないようなことがひとつ。
昔は、けっこうぴりぴりな性格だったらしいのです。
つーか、自分を中心に世界がまわってると思ってた。と。
自分の思い通りにならないことがあっても折れるのがぜったいいやで、学校の先生とかとよく喧嘩してたそうな。
おまけに神経質で、一人暮らしを始めた頃は毎日部屋をぴかぴかに掃除してたらしい。ころころしてたらしい。
ちょっと、うん、べつにそういうひともいるとおもうんだけど、
わたしのだるだるな暮らしや思考とは相容れないっつー話で。
しかも、むかしと言わず、
よく思い出してみたら、付き合う前に彼女とけんかした話とかしょっちゅう聞いてたなーみたいな。
むしろ会うたびけんかしてるって言ってたような。
再現してくれたそのときの会話、
とりあえず今のところわたしに向けられてはない、聞いたことのない語気のつよさだったなー。
デートしてけんかしてよく頭が痛くなってたらしいし。
ふと立ち止まる。
いまわたしが見てる彼は彼なのでしょうかはたして。
ちょっと、びびってる。
この目の前にいる、ふにゃふにゃふわふわわらってくれるきみは一体何者かと。
そもそも、おなじ会社にはいった、という唯一の接点をのぞいて、
やーつとわたしはばらばらの世界でくらしていました。
おなじ日本で生活している、でもわらっちゃうくらいちがう場所で。ちがうものを見て。
まあへんな言い方をしちゃえば、
やーつの抱えているものはまあまあ複雑で、たしかに大きい。
どっちかっつうと、ディープ。
シリアスな本書けそう。
だから、よくかんがえてみれば、
そういう生活してたらぴりぴりかりかりするのも当たり前な気がしてくる。
わたしがわたしみたいにぼんやり生きてこられたのは、
今までなにも背負わされることなく暮らしてこれたからだとおもうし。
手ぶらですきなことして、すきなものたべて生きてきたからだろうし。
踵を返しそうになる。
きっと、わかりあえなくなる日がくるのだと。手を振り払われる日がくるのかと。
ありふれた恋人の別れとしてのさよならだったらまだましだ。とおもうくらいの恐怖心がある。
しかし、どういうわけか
ふにゃふにゃふわふわわらってくれる彼のことが、わたしは今のところとてもすきなのです。
やーつともっと昔に知り合っていたら
きっと彼のことをすきにならなかったとおもう。
かれがかれのような人生を歩んでこなければ、
きっと彼のことをすきにならなかったとおもう。
今、この時点で、こういう形で遭遇して、だからたぶんわたしたちはこんなかんじで過ごしてる。
それがとってもうれしくて、
とってもこわくなる瞬間がありますのです。
ある日きゅうに、またやーつがぴりぴりしなきゃいけなくなったらどうしようかと。
でも、寝言を言っちゃえば、
そんなときもいっしょにいて、わたしはかわらずふにゃふにゃわらってあげたい。
やーつにはしあわせでいてほしい。
むろん、それは今かれが不幸という意味でなく。哀れんでいるわけではなく。
もっともっとたのしい!とかうれしい!とかそういうできごとがたくさんあればいいなって、おもってしまう。
わたしがかみさまだったらたぶんかれのことえこひいきしちゃうな。
人生がうまくいくように操作しちゃうとおもう。
だからかみさまにはなれないんだろうな。